第1回 激しい「胸痛」が襲う
今でも鮮明に覚えています。
それは12年12月11日火曜日の午前3時頃のことでした。
千枚通しで胸を貫かれたような鋭い痛みに襲われ、飛び起きました。
胸を抑えながら、いくら思い返しても身に覚えがありません。
何の前触れもなく訪れた突然の出来事でした。
その前日の10日、私が指揮を執るCSO(医薬品販売業務委託機関)「アプシェ」は、パートナーシップ契約を締結した英国CSOの幹部の来日歓迎パーティを催し、成功裏に終わりました。
そして、11日は我われCSO業界の先駆者とともに、クライアントを回るという一大イベントを控えておりました。
そんな日の未明に、かつて経験したことのない胸の痛みに遭遇しました。
私は真っ先に狭心症や心筋梗塞を疑いました。
それでも、何とか開院時間まで痛みを我慢して、自ら運転して、家の近所のカテーテル専門クリニックに向かいました。
すぐさま胸部X線撮影と血液検査を行ったところ、医師から「LDH(乳酸脱水素酵素)の値が900U/Lを超えている」と伝えられました。
このときLDH値に関する知識を持ち合わせていなかったのが悔やまれますが、医師や看護師が私のことを「LDH900の患者さん」と呼ぶのを聞いて、尋常な値(ちなみにLDHの正常値は119~229U/L)でないことだけは十分に感じました。
ところが、LDHの異常と胸痛から心疾患やがんを疑って撮ったCT画像では問題所見が見つからず、結局「総合病院」に行くよう勧められます。
正午を回っていましたが、痛みは一向に引きません。
私、昌原はアプシェ社長としてMRそして社員の皆さんとともに、よりよい医療をめざしています。
薬学部を卒業後、MRとして薬剤師として、そして一企業人として、一貫して医療情報を扱う仕事を生業としてきました。
少しは医療の「担い手」として貢献できたと自負しています。
そんな私が、48歳で初めて、生死に関わる状況下で医療の「受け手」となりました。
病名は「急性リンパ性白血病」。
告知から化学療法、骨髄移植を経て社会復帰するまでに、1年9ヵ月かかりました。闘病経験で感じたことをありのままに伝え、医療の一助になればと、筆をとりました。
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