患者になって気付いたMRの課題第2回 病名を告げられて

「それは気持ち悪いですね。きちんと調べましょう」
医師のその声は穏やかでした。

12年のクリスマスの12月25日に再度胸に強い痛みを覚えた私は、3軒目の病院を朝一番に受診しました。
別の病院で心臓にフォーカスを当てた検査をしたことなど、これまでの経緯を伝えました。

病院では血液検査、超音波検査、CT検査、MRIと次々に検査をしました。
朝の8時半にスタートして、すべて終わったのが午後3時近く、約7時間です。

「私の体はどうなっているのだ」
その間、病院待合室のソファに深く腰を掛け、天を仰いでは、下を向いて息を吐く。その繰り返しです。
検査結果を聞くためにさらに1時間ほどかかったのですが、何時間も待たされているような気がしました。
「昌原さん」と呼ばれ循環器科の診察室に入ると、医師の表情が曇っています。

「循環器でも呼吸器でもなく血液の病気でした。おそらく白血病でしょう」
「白血病?」「俺が白血病?」

青天の霹靂とはまさにこのことを指すのでしょう。
私の頭で白血病という言葉が何度も繰り返されました。
MRも経験し、薬剤師として調剤薬局で患者に接してきました。
医療人として「がん」の知識は豊富ですし、何より私の家系は「がん」と無縁でした。
つまりまったく想像していない事態です。

「俺がどうして白血病に。50歳前だぞ」
白血病に続いて、脳裏によぎった言葉は「死」でした。
背中に冷たい汗が流れ、膝の上に乗せていた手が震え出しました。
それでも何とか医師の説明に耳を傾けます。
「白血球が2万9600/µlと高く、分画を調べると芽球が90%を占めている。体内の白血球のうち1割程度しか機能していない」
「今後も日に日に芽球が増えてくるので、すぐに治療を始める」
「化学療法を何度か行った後に骨髄移植に踏み切ることになる」
「治療は長期に及ぶので、家族の助けが必要となる。当然ながら仕事は長期離脱が免れない」
そんな話をされました。

医師が説明を終えると、直ちに循環器科から血液内科にバトンが渡され、その日のうちに骨髄穿刺をされました。
この検査のことは話には聞いていたのですが、実際に体験すると、局所麻酔がかかっているとはいえ、相当な痛みがあったことを覚えています。

痛みとともに、心は千々に乱れていました。
家族にはどう説明しよう、会社は大丈夫だろうか、私はどうすればいいのだ......。
骨髄穿刺後に、妻と会社の部下に白血病であることを伝えました。
どちらも状況が飲み込めず、言葉を失っています。
生涯で忘れられないクリスマスとなりました。

翌12月26日、病名が「急性リンパ性白血病(ALL)」でほぼ間違いないと医師から告げられました。
激しい胸痛に叩き起こされたあの朝から実に2週間が経っていました。
そして、ついに長い闘病生活が始まったのです。

ところが思いもよらぬ話に展開していきました。

「昌原さん、うちでは骨髄移植ができないんです」
実は、骨髄バンクから施設認定を受けるには、移植だけでなく骨髄採取もできなければならないことを知りました。
そうした体制を整えるには、専門的な知識を有する医師数の確保が必須なのです。

「ただし、入院はうちで移植だけを関連病院で行うことも可能です」
そんな方法があることも、初めて知りました。

「それでもいいかな」
そう思いかけていた私の考えを変えたのは母でした。

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