患者として人生に向き合う第4回 言葉が出ない

ふと思うことがあります。
かつて不治の病とされた白血病も、治療薬や移植技術の進歩によって「完治」をめざせる時代を迎えています。
しかし、どんなに治療が進歩しようとも、私たち患者の頭から「再発」の不安が消え去ることはありません。

がん患者の長期生存が望めるようになったがゆえに表面化した課題もあります。
昨今、小児がん領域で注目されているのが、「治療の合併症」です。
とくに、前処置として強力な化学療法や全身放射線照射が用いられる造血幹細胞移植は、その晩期合併症として2次性の白血病や固形がんの発症が報告されています。

同じ病院で移植を受けた患者さんにも、「今は白血病とは別の固形がんと闘っている」とか「肝臓がんの治療を始めた」などと告白される方が少なからずいます。
そのような現実を目の当たりにして、「あぁ、そうか。これで治ったわけではなくて、そのあともいろいろと続編があるんだ」と思います。

私自身が社会復帰をめざすうえで一番困ったのが、失語症のように言葉が出てこないことでした。
言葉を発するのに時間がかかり、しかも出てきた言葉が思ったとおりの表現にならないために、会話が成立しないのです。
これではプレゼンなど到底できません。
それがどうにももどかしく、情けなくてイライラしていました。
恐らく、前処置関連の合併症や移植後3ヵ月以降に顕在化する晩期障害として報告されている中枢・末梢神経障害のひとつだったのでしょう。
そのような状態が1年半くらい続いていたそうです。
「そうです」と書いたのは、自分ではよく覚えていないからです。

ほかにもいくつかのトラブルを経験することになります。

まずは白内障手術です。
CMV網膜炎の再燃から2年ほどたった15年11月5日のことでした。
治療の甲斐あって網膜炎による視力の低下は少しずつ回復してきていたのですが、ステロイド点眼薬の長期使用が原因と考えられる白内障を発症し、水晶体の白濁が進んで見えづらくなったため、眼内レンズを挿入する手術を受けました。
このときは、「もう入院は嫌だ」と言い張り日帰り手術を選んだのですが、実はすぐさま「入院すればよかった」と後悔するほど大変な手術でした。

次に退院から3年ほど経ってスキーに出かけたときのことです。
2度ほど転倒して、同じ場所を強打しました。
右足の付け根の骨のところです。
あざになる程度で済むと思っていたら、次第にぷくーっと膨らんできたのです。
それでも「そのうち治るだろう」と放っておいたところ、だんだんと大きくなってくるではありませんか。
普通にしていれば痛くもかゆくもありませんが、当時は車通勤をしていたので、運転席に座るとその部分が当たって痛くて、どうにも具合が悪いのです。
仕方なく、1ヵ月ほど経ってから別の症状で診てもらっていた皮膚科で相談すると、「組織検査もそれなりに侵襲をともなうので、思い切って取ってしまいましょう」ということになり、16年7月6日に切除手術のために入院しました。
あれほど「入院は嫌だ」と言っているのに、です。
しかも、下半身麻酔に尿道カテーテル......と大ごとになったうえ、出血が治まらず、1泊2日の予定が2泊3日の入院になるというおまけつきです。

病理検査の結果、神経鞘腫という良性の腫瘍だったこと、切除手術でよくなったことがせめてもの救いでした。
このときの教訓が「こじらせる前の早めの受診」であったことは言うまでもありません。